シンガポールの営業の思い出3

シンガポールの営業の思い出3

シンガポールで楽しく働いていたのですが、ある時、私に営業に来いと言った専務が日本から出張してきました。 支店長と一緒に主要なお客に挨拶に連れて行ったり、食事やゴルフの相手をしたのですが、ゴルフ場で一緒にゴルフをしていた時に、マレーシアに支店を作るつもりだと言い出しました。 そしてお前が初代支店長で行けと言われましたので、ビックリしましたが、マレーシアにも私が担当していた客先が何社も有ったので、分かりましたと返事をしたのですが、それが苦労の始まりでした。

専務が帰国してからシンガポール支店長に呼ばれて、マレーシアのペナンに営業支店を作るが、お前が設立の申請業務もやれと言うのです。 えっ、それは総務や業務の仕事だろと思いましたが、みな若い連中ばかりでそういう手続きに慣れていないので、日本で運輸省や税関と接触交渉をしていた経験の有る私にやれという話になったんだなと納得しました。 そこで設立の手続きに必要な情報を得るためにピートマーウィックというアメリカ系の会計事務所を支店が使っていたので、そこに相談してやり方を聞きました。 日本の本社からもどういう規模の組織にするのか等も聞きましたが、小さな事務所なので大した書類は必要有りませんでした、しかし全てマレー語で申請書類を作らなければならないのでピートマーウィック会計事務所で英文の書類をマレー語に翻訳したものを作ってもらいました。

マレーシアの首都のクアラルンプールにある投資開発庁のMAIDA(Malaysian Investment Development Authority)に行って申請書類を提出してきましたが、何か月で許可が下りるかは教えてもらえませんでした。 しかし営業としてマレーシアに移動して駐在しろという指示なので、兎に角ペナンに行って営業活動をしないといけないのでペナンの街中のホテルと1か月づつの更新契約を結んで、ホテル暮らしを始めました。

マレーシアでは居住許可を取得しないとアパートを借りることが出来ないのですが、支店設立の許可が下りていないので私の居住許可が申請できず、観光ビザで入ることにして、ホテル暮らしにしたというわけです。 観光ビザは90日までなのですが、出張してシンガポールでの会議も有り毎月出国するので、マレーシアのホテルに長期滞在してもビザの問題は有りませんでした。 ホテルの名前とRoom No.と住所と電話番号とFAX番号を記入した名刺も作って、仮の事務所ですと言ってお客に配って回りました。  そうしたら私が留守の時に電話が入ってもホテルのオペレーターがメモを部屋に置いておいてくれるので助かりましたしFAXも送られてきたのを見ることが出来ましたので便利でした。

しかし、投資開発庁からの許可が中々下りません。3か月位、ホテル暮らしをして、毎朝ホテルのバッフェスタイルの朝食を食べていたのですが、マレーシアはイスラム圏の国なので、豚肉は食べず、ハムもソーセージもヤギか羊か鶏の肉で鶏肉は子供の頃に可愛がってヒヨコから育てたニワトリが大きくなったら父に唐揚げにされたのを見てから食べられなくなっていたので、ヤギと羊肉ばかり食べてアレルギーの様になってしまい、ホテルの朝食もマレー系の食事も全く受け付けなくなってしまいました。

そこで、朝は果物とパンだけ食べて、昼と夜は当時ペナンの街中に一軒と観光ビーチにあるラササヤンホテルの中に一軒ある、日本食レストランに交互に通って日本食だけを食べる様にしました。そうしたら3週間ほどでマレー系の食事に対する拒否反応が消えて、また食べられる様になりました。 日本食は高かったので大変な出費をしてしまいましたが仕方ありませんでした。

ラササヤンホテル ペナンです、素敵なリゾートホテルです。

4ヵ月ほどホテル暮らしをしたら、やっと投資開発庁(MIDA)から会社設立の許可が下りました。 それでアパートを借りられる様になり、また事務所も借りられる様になりました。 事務所は日本食レストランで知り合いになった東芝の駐在員の方の事務所が入っている、Wisma Chocolate Bildingというビルに空き部屋が有ったので同じビルに借りました。 そこで新しい事務所と電話番号、FAX番号を記した名刺を作り、それをお客に配って回りました。

そうしたら、新しい事務所が出来たなら事務員を雇うんじゃないの? という質問が全てのお客の購買担当から有りましたので、いやまだ雇うかどうか決まってない、必要になったら雇うつもりだとしか返事はしませんでした。 そうしないと私の知人を雇ってくれという申し出でが殺到して大変なことになるよと駐在している他の会社の日本人に聞いていたからです。 当時のマレーシアは失業率が高かったのでそういう事が良く起こって混乱させられることが多かったのです。

事務所の備品で電動のタイプライターやFAX器機などはシンガポール事務所から持ち込みました、そこで、やっと女子事務員を採用するかなと考えましたが、新聞に募集したりしたら大変な数の応募が来てそれこそ大変になると聞かされていたので、どうしようかと思っていたら、ノーザンテレコムというカナダの通信機器メーカーの購買とソニーマレーシアの購買からそろそろ事務員を雇わないのかと聞いて来たので、履歴書を出してくれとお願いしました。

その二人と面接をしたのですが、一人はマレーシア人、一人は中国系でした、そこでマレーシア系はラマダンという断食期間が有って会社でたおれてしまう子がいると聞いていたので、中国系の人を採用することにしました。 雇ってみたら、その中国系の子はタイプライターも出来ると履歴書に書いてあったので、この文章をタイプしてくれと頼んだら、人差し指でポツンポツンとタイプし始めたのです! こりゃ駄目だと書類を取り上げて、こうやって打つんだと目の前で両手でブラインドタッチで直ぐに打ち終えたら目を丸くして驚いていました。 日本の事務所に連絡してタイプライターの練習帳を取り寄せて、毎日2時間練習させたら1週間くらいでブラインドタッチで打てる様になりました、そういう苦労もまあ楽しい思い出です。

ペナン島は日本では観光地の認識が高いですが、工業区も有って多くの外資系、日系企業の工場が建っていました、島の対岸側のマレーシア本土にも工業区が散在していて、毎日車でゴムの木の広い林の中を抜けて、それらのお客を訪問していました。 それらの話は次のマレーシアの営業の思い出で書かせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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