ゴルフの思い出

ゴルフの思い出

ここで少しゴルフを始めた理由を書いておこうと思います、それは海外駐在の時代や海外出張での話を書いていく中にゴルフの話が出て来ますが、その理解に役立つと思うからです。

私は若いころからゴルフは年寄りの遊びと思っていて、全く興味が有りませんでした。ですから学生の頃はスポーツ的なものはバイク、スキー、ヨット等で遊んでいました、野球は人数が集まらないとならず、自分のペースで出来ないのが嫌でやりませんでした。

大学を卒業して社会人として会社に入社してからは、バイクも手放して冬のスキーに行くくらいがスポーツと言えるものでした。入社して3年くらいたったころに、上司の課長達が昼休みになるとゴルフの話ばかりしているので、生意気にもゴルフなんて老人の遊びはやりたくないですねえと課長に話してしまいました。 そうしたら課長が、老人の遊びかどうか自分で確認してみろ、今週の土曜日に行くけど一人入れるから一緒に行こうと言われたのです。 そう言われては断れないので、分かりました行きましょうと答えてしまったのです。

今度の土曜日というのは3日後だったので、さあてどうしたら良いかと考え込んでしまいました。 一度もゴルフをしたことが無いし父もやらないので道具が有りません。  そこで大学時代の友人のY君に電話をしてゴルフクラブのセットを貸してくれと頼みこんだらクラブは借してもらえました。 しかし一度もゴルフはやったことが無いのでまずは練習場に行って練習しようと思い、神宮球場のゴルフ練習場に行きました。

その前に全く知識がないのも駄目だと思い、会社帰りに本屋に寄ってゴルフの初心者向けの本を買いました、まずはクラブの持ち方(グリップの握り方)を図解で読んで、なるほどこうやって握るのかと自分の部屋で握る練習をしました。 その程度の準備で明日はゴルフに行くという前夜に神宮球場の打ちっぱなしに行って練習を始めたのです。

何で、ゴルフバッグに14本もクラブが入っているのかの意味もわかって居ませんでしたので、とにかく遠くまで飛ばせば良いんだろうと思い、ドライバーと呼ばれる、一番遠くまで飛ぶクラブを持って、グリップの握り方を見ながら素振りをしてみました。 それからボールの貸出機にコインを入れてボールを50発ほど出して、自分の打席に戻って、球をゴムでできたティーの上に置いて打ってみました。 ドライバーの玉に当たる部分は大きな玉ねぎほどの大きさですが、当たらずに空振りしてしまいました。

えっ? 空振りか! 何でだ? とショックでした、しかし運動神経には自身があったので何回か調整しながら振ると当たる様になりました。 どんなもんだいと少し調子に乗って打っていたのですが、ボールは右カーブをしながら飛んでいきます、狙った方向に落とすには曲がり分を読んで少し左を狙えば良いんだと思って、練習したら大体思ったところに飛んでいくようになりました。 その次にドライバーより少し短いクラブで同じように練習したら、そのクラブでも同じように飛ばせる様になりましたので、これで良しと納得して、アイアンクラブの練習は全くしないままで家に帰って、翌日のゴルフの着替え等の準備をして寝てしまいました。 アイアンクラブが何で10本もバッグに入っているのか意味も知らずに出かけたのですから恥ずかしい限りでした。

ゴルフデビュー当日の朝は天気も良くまさにゴルフ日和でした。 だれが最初に打つかくじ引きの棒を抜いたら私が一番になってしまいました。 そこで前夜の打ちっぱなしのティーの高さ位にボールを置いて、あの辺りとフェアウェイの真ん中辺りを狙って打ったら、カチーンと音を立てて飛んでいきました、やはり右にカーブしながら飛んでいきますが、予測より右にいって、フェアウェイの右の草が深くなっているラフと呼ばれる部分にボールは落ちました。 課長達は多分空振りかチョコっとしか飛ばないだろうと予想していた様で、飛ぶじゃないかと驚きの声をあげていました、ほら見ろと心の中でほくそえんだのですが、それからは地獄の行進になったのです。

ボールの所に歩く間は芝生の上を長く歩くのですが、その草を踏んで歩く感触がとても心地良くて、あーっ、ゴルフって良いなあと心から思いました。 そう思ったのも束の間でボールの所に行って見ると、ボールが10cmくらいの芝の葉の中に埋もれていました。 キャディさんが何番が良いですかと聞くので、そこで初めてアイアンクラブの打面(フェース角度)の違いはそういう意味かとやっと理解したのですが、全く練習していないので何番がどれ位飛ぶか判らす、何番が良いですかとキャディさんに聞いたら、5番くらいで良いんじゃないですかというので、では5番を下さいと言って5番アイアンを受け取りました。 それから構えて素振りをしてからボールを打ったのですが、スカッと空振り、もう一度打ったらまたも空振り、もっと下を狙わなきゃと打ったらボールの下の土を叩いて(ダフリ)球は10m位しか飛ばなかったので、そんなことの繰り返しでグリーンにたどり着くまで10打以上費やしました。

そんな状態で進んでいく内に段々要領が判ってきましたが、グリーンに近づくと距離感が合わずに、その日は168打という恥ずかしすぎるスコアが私のゴルフデビュー戦でした。 課長達も良く我慢して付き合ってくれたと思います。終わってからゴルフ舐めてましたと課長達に謝りました。

その日家に帰ってから、ひどいスコアを叩いたことが悔しくて悔しくて、次の日から借りたクラブを暫く借りっぱなしにして、毎晩神宮の打ちっぱなしに通って250球くらい打っていました。 何日か続けて打っていたら、掌の真ん中の皮が直径5cmくらい剥けてしまい、痛くて会社でペンを持つのが辛かったくらいでした。 そこでグリップも正しい持ち方を研究して皮が剥けることは無くなりました。

ゴルフ上達までの道のりは長かったので、話は簡単にしますが、友人が表参道でやっていたレストランにゴルフのツアープロとそのプロにレッスンしてもらっている会社社長が良く食事に来て居て、ゴルフの話をしているうちに一緒に回ろうと言ってくれたのです、その代わり行き帰りの車は出して運転もするという約束です、しかもプロと行くとゴルフのプレー代が半額位にしてもらえたので願ってもない申し出でした。

そのプロ達とは30回位一緒に回りましたが、さすがプロだけあって、お金を払っていない我々には教えてはくれませんが、プロが色々な状況でどうやって打っているのかを注意しながら見て、ああやるのかと覚えたものです。 おかげでゴルフのスコアは良くなりました。技術は盗めというのが正しいことが分かりました。

そのおかげで30代のころはコンスタントに80台で周れるようになりました。 これがゴルフのファンになった始まりの話ですが、後に海外駐在した時に色々役にたった土台だと思っています。 その後の海外駐在時代には何回かパープレーも出来る様になりました。その辺りのゴルフの思い出は海外駐在の話の中で書かせて頂きます。

 

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