青山墓地が遊び場だった思い出。

青山墓地が遊び場だった思い出

私が小学生と中学生の時は青山墓地を通って通学していました。その方が近かったからです。 学校は通学に墓地を通らない様にと言っていましたが、何人かで一緒に通ってたので平気で近道を通っていました、今は絶対に通らせないでしょうね。 また学校の帰りにかくれんぼをするのですが、区域を示す杭のここかからあそこまでと範囲を決めないと広すぎで全然見つけられないのでした。

また春には桜の花の長いトンネルが出来て今でもとても綺麗です。その頃は夏には色々なセミや蝶やトンボが飛んでいて、夏休みの宿題では色んな虫を捕まえて昆虫標本を作って何回か提出した記憶があります。また江戸時代からの日本の近代化に貢献して頂いた外国人の方々のお墓も多く有ります。

昆虫採集では青山通りの渋谷寄りの宮益坂を上がったあたりに「志賀昆虫」というビルが有って昆虫採集関係の物品が沢山並んでいて、良く買いに行きました。 注射器と虫を殺す毒液なんかも売っていて、今だと子供には売ってくれない様なものも買えました。 今は滋賀昆虫社は引っ越して戸越公園の方にあるようです。

冬になると、お墓の花立の間にある水鉢の水が凍っていました、今は殆ど凍りませんが昔は寒かったので凍りました、それを取って道に滑らせて遊んだり、土の通路には霜柱が立って、それを踏みつぶして遊びました。 雪が積もると塔婆を抜いて釘を打ってその上に靴を履いた足を縛り付けてスキーの真似事をしたり、ミカン箱を上に打ち付けてソリにして斜面を滑り降りたりして遊んでいました。(大変罰当たりなことをしました、ごめんなさい。)

今の青山三丁目交差点から西麻布に抜ける外苑西通りの青山墓地に接した部分は昔は今の歩道の辺りまで青山墓地から草の生えた斜面が続いていて、雪が積もるとスキー場の様になっていましたので、そんな遊びも出来ました。 またその斜面には、太平洋戦争の時に防空壕がお墓の下に向かって何本か掘られていて、入口が埋められていましたが、雨に何度も洗われた為か入口の辺りが分かるように窪んでいました。 上級生の男子たちが掘ってみようと言って、皆で掘ったらポッカリと穴が口をあけました。 ロウソクを取ってきて中腰で皆で入りましたが突き当りまで20m以上ありました。

で、肝試しだと言ってロウソクを持って一人で突き当りまで行って石を置いてくるという遊びもやりましたが、結構皆平気で出来ました。でも良く土砂崩れなどに会わなくで無事で良かったと今は思っています。 いまでも青山墓地のあたりを通ると子供の頃の記憶がよみがえって懐かしく思います。

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