中学生自転車競技会の思い出

中学生自転車競技会の思い出

私が中学生の頃は自転車が移動手段でした、夏休みに青山一丁目の交差点の近くにある中学校のプールに行くのにも自転車で毎日通っていました。 あるとき同級生5人と青山から鎌倉までサイクリングに行こうと言って皆を誘って、サイクリングに行きました。

青山から鎌倉までは片道で60Km以上あります、往復で120Km以上になりますので、個人差で走れる人と走れない人が居たのですが、そこまで頭が回りませんでした。 行きは皆なんとか走れて、北鎌倉から鶴ケ丘八幡宮への下り坂では「着いたぞー!」と大喜びしていました。

鶴ケ丘八幡をお参りしてから、大町から七里が浜へ出て休憩をして、江の島まで行きたかったのですが、遠くなるので我慢をして小町を通ってまた北鎌倉の方に上り始めました。 帰りの登り坂はかなり自転車にはきつくて、また、帰りは登り坂は長いところが結構あって、今函館で医者をやっているT君が座席とこすれて尻の皮が剥けて「痛い痛い」と言い出しました。

もう一人、成人後は秋田県で県会議員にもなったS君も尻が痛いと言い出して、電車で帰ると言うのですが、自転車は当時は電車には持ち込めなかったのと便利な宅配便もなかったので、頑張って乗って帰ろうと言って励ましながら、休み休み青山まで辿り着きましたが、二人のお尻はズル剥けで1週間以上痛かったそうです。 申し訳なかったと思いますが、皆が頑張った中学時代の懐かしい思い出です。 後で聞いた話では函館で医者をやっているT君はそれ以来自転車が大嫌いになって一度も乗っていないそうです、本当に申し訳ないことをしました。

それから別のある時、港区の中学生対象の自転車競技会というのが、港区立高松中学校で開かれたのでエントリーしました。 高松中学校は今の上皇様の住まわれている高輪の皇族邸の隣にある中学校で校庭が広い学校です。

競技は2種類で、1つ目は校庭の楕円のトラックを10周くらい走る競技でした、一緒に走る自転車は競技用のピストと呼ばれる様な自転車も多くいました。 私の自転車は普通のスポーツサイクリング車で、一部部品は小遣いの範囲で高級な部品に交換していた程度でした。

スタートして2週くらいは5位くらいを走っていたのですが、毎週先行車を抜いて結局トップでゴールしました。

続いで、次の競技は校庭を数周してから、高松中学校は校庭から皇族邸に向かって斜面が林になっていて、その斜面の林の中を上り下りして校庭に戻って数周走ってゴールというものでした。    スタートしてからギアチェンジを頻繁に行って林の中の上り下りで1位になってから校庭でも抜かれることなく1位になってしまいました。2連勝してしまったのです。

自分でもビックリしましたが、表彰式が終ったあと、大人の人が数人来て、私に競輪選手にならないか? と話して来たのです。もっとビックリしましたが、競輪選手にはなりたくありませんと断ってしまいました。

もし、あの時競輪選手を目指していたら中野浩一選手の様にお金も稼いで、オリンピックにも出れたかも知れないなあと想像した時もありました。 人の人生には幾つもの分かれ道が有る様です。

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