ポンせんべいの思い出

ポンせんべいの思い出

子供の頃には、紙芝居屋のおじさんが家の近くの道路のかたすみや公園に来て紙芝居を見せてくれました、もちろん水あめや煎餅のような駄菓子を5円とかで買ってから見せてもらえるのでした。紙芝居がくると母に10円をもらって妹と二人でよく見に行きました。 もう一つポンせんべいを作ってくれるおじさんも自転車にリヤカーを引いて回ってきました。 やはり公園にリヤカーを停めてチリンチリンと鐘をならして子供たちを呼びます。

ポンせんべいが来ると、子供たちは家にあるお米を容器や袋にいれて持って行きます。 大体牛乳瓶2本分くらいなので300gくらいだったと思います。 そのお米を渡すとおじさんが機械のお米を入れる部分にザザーっと入れます。 それから燃料のまきを燃やした機械が動いて熱い蒸気がシューっとでて、しばらくすると「ポンッ!」と音がして、おじさんが蓋を開けると熱々のポンせんべいが出て来ます。

それを受け取って、喜んでかじりながら遊ぶのでした。 しかし、ある時変だなあと思う時がありました。 お米は300gくらい持って行くのですが、もらえるポンせんべいの量が2~3枚と少ないのです。 家に帰って母にそのことを話すと、『おじさんがタダでせんべいを作ってくれるわけがないでしょう? 半分くらいのお米はポンせんべいを作る手間賃としておじさんがもらってるのよ。』と教えてくれました。

なるほどそういうことだったのかと納得はしましたが、それならおじさんはお米を受け取ったら半分を手間賃分ねと言って先に分けて取ってくれれば良いのに、全部機械の中にザザーっと入れて何も言わないのはおかしいなと思いました。 そこでその次にお米を持って行ったときに、おじさんがお米をザザーっと入れたところを注意深く見ていたら、入ったお米が中の別の穴にも流れるようになっているのを発見しました。 それでなるほどと改めて納得しましたが、ちゃんと言えば良いのにという気持ちは残りました。

その頃は他にも、納豆売りのおじさん(なっと、なっとー!と声を出してきます。)、玄米パン売りのおじさん(玄米パンのホヤホヤーと声を出してきます。ロバのパンとも言う?)、あさりとシジミ売りのおじさん(あっさりーい、しじみーと声を出してきます。)、豆腐屋のおじさん(ラッパでトーフートーフーと言うような音を出してきます。)、今ではスーパーマーケットで何でも買いますが、物売りのおじさんが来たらお母さんたちや、お母さんに言われて買いに来た子供たちが、家から容器を持って買っていた頃は今でいうSDG’sを実現していた時代だったんだなあと思いもひとしおです。

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