こどもの頃のテレビ番組

こどもの頃のテレビ番組

上の写真はララミー牧場のジェフ(ロバートフラー)と銃は有名な名銃のウィンチェスター73だと思います。

私が小学校低学年の頃はテレビ放送も少なく、テレビを持っている家庭も少なかったのですが、東京オリンピックが開催される1964年の前年くらいからテレビを購入する家庭が急増しました。

それに伴ってテレビ局数も増え、テレビ番組も多く放送されるようになりました。 叔父さんが電気屋で働いていた関係で我が家にもテレビが入ることになったのは私が小学校4年か5年生の頃でした。

その当時はまだまだテレビの普及率は高くなく、近所のお菓子屋さんや電気屋さんに子供たちが集まってテレビを観せてもらったりしていました。 私も小学校3年生と4年生の頃は近所のお菓子屋さんに行ってテレビを見せてもらっていました。 勿論子供たちは、まずキャラメルやアイスキャンデー等のお菓子を買ってから居間に上げてもらいテレビを観るのでした。

その頃の子供たちの人気番組はローンレンジャーや怪傑ゾロ、名犬ラッシー、ローハイド、ララミー牧場といった海外の番組と怪傑ハリマオ、少年ジェットといった日本の番組でした。 私はローンレンジャーやローハイド、ララミー牧場といった西部劇ものが好きでした、ローハイドはカウボーイが何千頭もの牛の群れを追いながら移動して行く物語でした。

その当時は有名になるとは知らなかったのですが、クリントイーストウッドが若いころに出演していました。 長い乗馬の旅が終ると美味い食事が待ってるよとか色々歌う主題歌と動画を観てみたい方はこちらです。  クリントイーストウッドの若いころを観たい方はこちらでどうぞ。 クリントイーストウッドとチャールス・ブロンソンの対決を観たい方はこちらでどうぞ。

ララミー牧場も西部劇で、牧場で働いている早撃ちのジェフ(ロバートフラー)が人気で、日本にもやって来てショーに出たりしていました。 早撃ち用のピストルを本物を持ってきて空港で取り上げられるというエピソードもあったりしました。

ロバートフラーが扮するジェフの真似をしてお年玉でガンベルトとピストルを買い込んで、抜き打ちをして銃をクルクルと指にかけて回してガンベルトにストンと収める練習を必死でやってました。 多分クラスの中でもかなり上手い方だったと思います。 ララミー牧場の歌と動画を見たい方はこちらです。

ローンレンジャーはやはり正義の味方でメキシコの悪い役人を懲らしめたりするのですが、愛馬にまたがって走り出すときに「ハイヨーシルバー!」と声を掛けて走り去って行くのです。 それが格好良くて、同級生達と自転車に乗りながら「ハイヨーシルバー」と声を掛けあっていました。

ローンレンジャーにはいつも行動を共にするインディアンのトントという相棒が居て、彼が色々助けてくれるのですが、ローンレンジャーを呼ぶときに「キモサベ」と声を掛けていたので、小学校でも友達を呼ぶのにわざわざ「キモサベ」と呼びあったりしていました。

またトントのセリフで「白人嘘つき、インディアン嘘つかない!」というのも小学校ではやり、「インディアン嘘つかなーい!」という言葉も良く使っていました、懐かしい思い出です。 ローンレンジャーの動画はこちら

名犬ラッシーは頭の良いラッシーというコリー犬の物語で、妹や母が楽しそうに観ていましたが私は余り好みでは有りませんでしたが、チャンネルも変えられないので一緒に観ていました。

日本の番組では少年ジェットという子供の探偵の話でした。原付バイクに羽を付けたようなのに乗って悪者をやっつけるという内容のテレビ番組でした。 左手を左腰に構えて、右手を口の横に添えて「ウーヤーター!」と叫ぶと衝撃波の様な物が出て敵が倒れるという神業をもっていて、小学校でもウーヤーターと叫ぶと同級生がバタバタと倒れたものです。

また良く青山墓地で撮影もしていましたが、少年ジェットの番組の歌では「白いマフラーは正義の印」と歌われるのですが、撮影時の実際の少年ジェットのマフラーは水色でした、これは当時の白黒テレビでは水色の方が白く見えるからという理由からだったようです。少年ジェットのTV番組を見てみたい方はこちら

でも、この少年ジェットは私生活では問題が有った様で、ある時どこかの店で万引きをして逮捕されてしまい、その後番組は中止になったような気がしますが、覚えて居ません。 という落ちがついていました。(笑)

もう一つの番組の怪傑ハリマオはいつも大きなサングラスをかけていて、インドネシアで悪徳役人達を倒す人民の味方のヒーローでした、ピストルも早撃ちで素早い動きが売りでした。

ハリマオの番組の最終回にハリマオがサングラスを外した素顔を見せるのですが、その顔が凄い馬面で黒い大きなサングラスをしていないととても恰好良いとは言えなかったので、次の日の小学校ではハリマオの顔みたか?スゲー馬面だったなあ! アッハッハと皆で笑いあったものです。(ハリマオさんご免なさい。)

1964年に入るとオリンピックが有るのとテレビの普及台数が増えたのでテレビ局数も増え番組数も増えて行きました、そのまま現在まで有線放送も含めると番組数は増加して、とても一人では見られないほどの番組が毎日流されています。 少ない番組を皆が見ていた時代が懐かしいと思うのは私だけでしょうか?

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